「YES・YES・YES」
        
 (比留間久夫)


 客は部屋に入るとおもむろにトランクケースを開けた。
 そして僕を呼ぶと、
 「おい、これを着てくれ」と言った。
 僕はベッドの上にぶちまけられた服を見て、一瞬、目が点になった。
 えっ? 僕は笑いだした。おかしくて死にそうだった。
 これまで変な形のパンツをいろいろ穿かされたり、月桂樹の冠を頭に被らされたりしたことがあったが、女の格好をしろって言われたのはこれが初めてだ。スカート、リボン、ブラウス、パンティストッキング、…それに下着まである。

 「本気ですか?」僕は客に聞いた。
 「ぐたぐた言ってないで早く着ろ! それに見合った金はちゃんと払う」
 客は少し気分を害したようだ。しかしそれに見合った金って言い方は、とても抽象的な言い方だ。こんなふうに言う客はそんなにたいして金はくれない。くれたためしがない。
「これ、全部、着るんですか?」
 僕は可愛いレースのフリルの付いたパンティを手に取って、笑いながら聞いた。
「そうだ。大丈夫だ、新品だ。ほかのもちゃんとクリーニングしてある」
 こいつの言うことはまるで答えになっていない。
「今、ここで、着替えるんですか?」
「ああ、そうだ。…恥ずかしいか?」
はははっ、恥ずかしくないって言ったら完全に変態だ。僕もあんたのお仲間だ。
「ええ」

「ああそうだ、お前にもつーつ聞いとくが、お前ケツに毛生えてるか?」
「毛?」
「そうだ、毛だ。ほらケツの回りにちらほら毛が生えてるだろう? あれだ」
 僕はよくわからなかった。自分の尻なんて鏡に映して見たことはない。本当の話だ。
「まあいい、とにかく服を脱げ。脱げばわかる、俺がちゃんと検査してやる」

 ……一刻の後、僕はバスルームで客に尻にカミソリを当てられていた。鋭利な刃物が無防備な所に冷んやり流れる感覚はさすがに怖い。これは怖いだけで全然、気持ちよくない。
 「ほら、ほんの少しだが生えてきちまってる」
 客はそう言うと、カミソリに付着した睫毛の長さほどの柔らかく硬そうな毛を僕に見せた。
そして、「ちぇっ」と舌打ちすると、

 「…これがまったく興醒めものなんだ。これが生え出した男はもう不潔で、ただ、ただ、
臭いだけだ。お前は今そのぎりぎりってところだな」
 と苦笑し、そのカミソリを持ったまま、僕にキスしてきた。
 おいおい、気をつけてくれよ。

 この男は――齢はたぶん三十前後、若干ヤクザふう――店に来た時、僕に「お前、毛深いか?」と聞いてきた。僕は首を振った。「脛毛は?」薄いです、僕はそう答えた。「齢は?」
十七です、僕はそう口を滑らしそうになって、あわてて「十八です」と撤回した。もしかしたら警察の人間かもしれないと思ったからだ。男は「そうか」と言うと、しばし僕をスーパーの生鮮野菜のように吟味し、それで「うん」とうなずくと、めでたく指名にあいなった。

 僕は中学の時、プールで、脇毛や脛毛がないために、ずいぶん恥ずかしい思いをしたことを思い出した。それは隆起しはじめた筋肉とともに、輝く大人の象徴として、みんなに英雄視されたものだ。それに修学旅行のお風呂の時間.....。
 優はいつまでも大人にならない自分のからだを鏡に映して、いつも恨めしく悲しんだものだけれどそれがこんなふうに役立つ時もあるんだからおかしい。男は「きれいだ」と言って、バスルームで僕のからだを撫で回した。もちろん、いやな気はしやしない。

 天井の鏡、壁の鏡、ベッドの鏡、あらゆる鏡に僕が映っている。首を少し動かせば、そこに、鏡に映った自分の姿がある。僕はそれを見て、思わず笑わないではいられない。まるで自分でないようだ。どこかの変態野郎でも見てるような気分だ。

 男は僕に完壁な化粧を施した。この男は赤が好きなようだ。目蓋の回りに塗られたシャドウも、唇に引かれた口紅も、みんな濡れたような赤だ。それは白色のファンデーションとくっきりコントラストを描いて、まるで僕を白痴の女の子のようにしている。白痴をいいことに、薄汚い肉欲の毒牙にかけられている、哀れで足りない女の子。

 高く塔のように上げられた足のてっぺんに、白いパンティが、降伏の旗のように打ち萎れ、ぶら下がっている。爪先を揺すってそれを振り払ってもいいのだが、僕はあえてそれをしない。なかなかエロティックな眺めだ。それは気分を盛りあげる小物としてあった方がいい。
 僕は僕にのし掛かってきている奴の極彩色の背中に、思いきり爪を立ててやった。奴の背中には龍の刺青が美しく施されている。まさか刺青をした警官はいないだろう。まあこいつが誰であろうと、僕は別に気にもとめないが。

 僕はその美しい色模様に血の赤が滴り、混ざる光景を想像する。それはきっとこの上なくエロティックな眺めだろう。しかし奴は僕の手を振りほどくと、両手で、シーツの上に押さえつけた。
 奴ははだかれた僕の乳首を吸いはじめた。もちろん、僕に女のような胸はない。なのに客のほとんどはこれを行なう。よく考えれば、これは変な行為だ。いったい男が男の胸を吸う必然性など、どこにあるのだろうか。しかし僕もその気になって、奴の油でテカテカ濡れている髪に指を絡める。シーツに爪を立て、引き毟る、じっと凌辱をたえしのぶ悲劇的なポーズを取ってもいいのだが、今日はそういう気分じゃない。今日は愛し合っている男と女のポーズだ。僕は横の鏡を見る。鏡の中の自分と目が合う。僕は「ふっ」と笑い、再び快楽に喘ぐ官能的な表情に戻る。

 何かいろいろな感情、考えが頭を交錯する。それは次々とバラバラに湧き上ってきては、
綿飴のように立ち消える。たとえば少し気取ったところなら、こうだ。

何やら無法な行為が、彼女を裸にし、情けない姿にした
―それとも願ったことか

 しかしこれは無法でも何でもない。これは合法の和姦ってやつだ。情けない姿というのは言い得てないこともないが。
 けれど情けない姿とエロティックはきっと紙一重だ。
 しかしこの男はいったい僕に何を打ったのだろうか。からだが妙に痺れ出してきた。皮膚感覚が次第次第に消えゆき、肉の感覚が鋭敏に研ぎ澄まされていくようだ。きっとシャブってやつだろう。この男は自分にも打った。それで僕は安心した。奴の目はこうして見ると、澄んだ優しい光を宿している。

 男は僕のスカートを乱暴に捲りあげた。赤いタイトなスカートだ。閉ざされ、湿った太股に、外気が水のように流れ、冷んやりと得も知れぬ緊張が走る。僕は突然のその恍惚に驚く。ブリーフを下ろされる快感もなかなかだが、暴かれるという効用では、こっちの方が数倍鋭く、鮮烈だ。一瞬にして僕は無防備にさらされる。そして男の外部が僕の内部に宛てがわれる。僕はこの一瞬の心の震えが好きだ。抗ってもいいのに受け入れようとしている不可解な心の動き。その不可思議な心奥のメカニズム。薄氷のように切なく脆くピーンと緊迫した心の琴線。何かを怖れながらも待つような心の状態。何やら悲劇的な願望。その清く澄んだ厳かで甘美な戦操、悦楽。僕は自然に自分を放り棄てるように全身から力を抜く。僕は怖れながらも待ち焦がれている、自分の内部を手酷く侵されることを、凶暴な獣欲の前で自分が『物』に変わり果てることを。自分が何者でもなくなることを。

 僕の内に刺す上うな鋭い痛みが走る。しかし僕のナルシスはびくんと歓喜の叫びを天に向ける。僕は痛みが肉に吸収され、熱圧的な反復に純化されるのをじっと待つ。あのラヴェルの『ボレロ』の陶酔のように。
 僕はそのどうしようもない快感の中で、痴呆みたいに喘ぎ、もがきながら、何故、こんなに感じてしまっているのか、考える。何故、僕はこんなに感じてしまってるんだろう? ふと僕は乱丸の書いた『ミラー・ストリート・ブルース』の歌詞を思い出す。今一つ、奴の誘いにのれなかった理由、それは奴の言葉が外部に解き放たれたものだったからだ。僕ならきっとこんなふうに『ミラー・ストリート・ブルース』をしめくくる。

   ――俺は感じないではいられないのさ

 しかしだんだんと何も考えられなくなってきた。もわーっとした大気の渦が僕を包み込み、飲み込んでいくようだ。奴が激しく腰を動かすごとに、僕の心はーつーつ削ぎ落とされていく。僕の心と肉体は次第にーつになっていく。
 僕は目を閉じる。真っ白になった目蓋の真に、プラネタリウムみたいな宇宙がひろがる。
僕は何かに吸い込まれていくようだ。僕は何かに吸い込まれ、消えてなくなっていくようだ。

 「どうだ、おい、気持ちいいか?」
 男の声が僕の上で響いた。
 僕は男に愛しさみたいなものを感じてきている。お願いだから、もっと汚く、ひどく、僕を侵してくれ。薄汚い欲望で僕を壊すほどに踏み躙ってくれ。
 僕はシーツから男の背中に手を回した。目を開け、天井の鏡を見ようとした。が、僕を映す鏡はもうどこにもなかった。僕はただ、ただ、こう叫んでいた。
「うん、とっても、とっても気持ちいい!」

 はははっ、この気持ちに嘘はない。

比留間久夫著「YES・YES・YES」(1989)河出書房新社刊より引用


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