「血と油と運河」(梶山季之)


 木島宏は、肉色のパンティ・ストッキングを穿きはじめた。
 彼は、ストッキングを穿いた時、はじめて自分が 〃女〃 に変身したと云う実感を味わうのだった。
 しなやかな、ナイロンの感触。
 爪先だとか、陣などのシームの汚れ。
 肉色に、すっぽり蔽ってしまうパンストの魔力。
<ああ、女になれるんだわ>
 と、彼は思う。

 木島は、その時、すべてのことを、忘れていた。
 三星商事が、危機にさらされていることも、そして自分の妻が、不貞を働いていることも−−。
 そこには、男でありながら、女の服装をして、アベックで(本来、アベックとは、一緒にと云う意味である。むろん、男女のカップルでなくてもよい。日本人には、誤解されている外国語があって、アベックとは、男女のカップルだと思い込んでいる。なにも男と女でなくても、女と女でも、アベックなのであるこカクテル・パーティと云うのは、カクテルを飲むパーティではなくて、呉越同舟−−つまり、敵も味方もー緒にカクテルになるから、そう呼ぶのである)横浜を散歩することに、ワクワクしている不可思議な姿があったのだ...。

 横浜の中華街で、食事をしている時、木島の男性自身は、怒張し切っていた。
 なまじっか、高級な中華レストランを選んだばっかりに、ボーイは、金髪のカツラとも知らず、
 外人だと思い込んで、
「マダム、マグム……」
と連発する。
「メイ・アイ・イントルデュース・マイセルフ?」
などと、下手な英語で、自己紹介をしたがる。

 木島宏は、そのたびに、痛いほど、怒張を覚えた。
 今日は、コルセットを締めず、ナイロン・パンティ一枚である。
 だから、昂奮するたびに、スカートが、むくむくッ揺れる。
 それを隠そうとして、ストッキングの脚を組む。
 すると、股の間で、熱い火柱が揺れ動くのであった。
 みんな、女として見ている。しかも、外国の女に−−だ。
 それだから、余計に昂奮する。
 ゾクリ、ゾクリとする。
 股のあいだに喰い込んでいる、ナイロン・パンティの感触。
 ストッキングの、ゆるやかな緊縛感。
 化粧のすべての羞らい。
 ぎゅッ、と締めつけるような、ハイヒールの痛さ。
 ない乳房を、糊塗しているブラジャーの中のスポンジ・ケーキ。
 金髪のカツラの重さ。
 マニキュアざれた爪の朱さ。
 ・・・すべてが、彼にとっては、恍惚の対象である。
 
 それを身に、しっかと纏い、変身して、食事している妖しい楽しさ。
 彼は、たまらなくなった。
 食事の途中で、オナニーに立とうかと思った位である。
 ニ人は、食事のあと、山下公園を散歩して、モーテルに戻った。
 その散策の時の、なんと云ったらよいか、快よい思い出と云ったら!
 彼は、それを考えただけで、ゾクゾクして来る。
 ハイヒールで闇歩する。
 スカートの内側では、ピサの斜塔みたいなものが、揺れ動いている。
 「おッ! いい女だなァ」
 なんて、通行人がすれ違いざまに呟く。
 これが、こたえられない。
 みんな白人の女だと、思い込んでいる。

『血と油と運河』(梶山季之著) 集英社文庫から引用


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