「りんこさん」
      
   (2000.12.24 朝日)

■《あなたが選ぶ・この人が読みたい》りんこさん
――(都内デパート化粧品売り場に心ひかれる「女性」がいます(東京都中野区 知念恵美さん(28)からのメール) 

 人はどんなきっかけで、化粧を始めるのだろう。
 メールをくれた知念さんの場合は、予備校に通うため上京したのを機に化粧品をそろえた。高校では化粧厳禁。その反動だったのだろうか。
 「こんな私を見てほしいっていうのが化粧。素顔よりも化粧した方が、本来の自分になれると思うんです」
 知念さんがよく行くデパートの化粧品売り場で、ひときわ目立っていたのが、化粧品ブランドM・A・Cの「メイクアップアーティスト」りんこさん(23)だった。
 りんこさんは母親が美容師だったせいか、幼いころからきれいなものが好きだった。いろんな化粧品や鏡も身近にあった。中学生になると、
薄色のリップクリームを塗り、まゆを描き始める。家で雑誌を見て練習した。高校では女友達に教えてあげたりもした。
 体と違って、心は女の子なんだと自分でわかってきたのも、このころだ。
 なぜ化粧を?
 しばらく考えて、言った。
 「女の人に勝る部分を持ちたい気持ち、あるのかも」

   ■   ■  
 メーク専門学校での成績はトップ。だが、就職に壁があった。ふつうの会社なら、履歴書の顔写真と戸籍名とを見比べて「?」をつけただろう。

 松田聖子やナオミ・キャンベルも愛用することで知られるM・A・Cは、会社の信条に「for All Races,All Ages,All Sexes(あらゆる人種、年齢、性別のために)」を掲げる。ブレント・D・スミス事業部長(33)は「採用に何も問題なかった。彼女の性について意識したこともない」。どうしてそんな質問をするのか、と言いたげだ。
 売り場の同僚は最初少しだけ戸惑った。トイレなどの問題もある。「でも、会ってみたら普通の女の子じゃないですか」と、当時の岩崎知美マ
ネジャー(31)は振り返る。
 初めて接客したのは、去年3月。緊張はうれしさに変わった。「こんな私でも受け入れられるんだ」
 りんこさんがこの仕事にあこがれたのは、「人にドラマを与えられる」からだ。
 化粧を始めたばかりの少女。どこか外見に自信が持てない人。年齢を忘れたい人。そんなお客様に、きれいになる喜びを伝えたい。コンプレックスに苦しんだ自分だからこそできる、と思ったのだ。
 今年は、光沢のあるファンデーションが大ヒットしている。しかし、ごつごつした男性的な顔だちの人だと、光を乱反射しやすく、むしろマット系の方が映える。女性らしく見せるすべを知っているから、そう助言する。流行品の押し売りはしたくない。
 入社してまもなく、全国の店舗の中で月間売り上げトップになった。
 
  ■   ■
 数カ月が過ぎ、余裕が生まれたころ。鏡をふいたり商品を並べたりしていた時だ。
 デパートの1階を様々な人が行き交う。ふと、こちらを見ながら流れてゆく視線に気がついた。振り返る人。さりげなくもう1度通る人。わざわざ見にくる人。
 (あれ、男じゃないの)
 特にカップルは残酷だ。彼女が彼氏に耳打ちする。「オ・カ・マ」と動く唇が見える。彼氏が一べつし「行こうぜ」と手を引いて離れてゆく。
 気になり出すと、あっという間に気分が落ち込んだ。売り上げもガクンと減った。
 こんな出来事もあった。
 ある夕方、若い女性が近寄ってきて買い物もせず、ニヤニヤしながら言った。
 「何でここにいるの?」
 「えっ?」
 「ニューハーフでしょ。あんた面白いじゃないの。電話番号教えてよ」
 瞬間、頭が白くなった。
 「申し訳ございません。個人的な質問にはお答えできかねますので……」
 後ろ姿が見えなくなったところで、裏のストックルームに駆け込み、泣いた。
 電車の中でも買い物をしていても、他人の目が刺さる。りんこさんはそのたび、相手をにらみつけてしまうようになった。「みなが敵に思える。そう思ってしまう自分が情けない。でも、そうさせた原因は、私を特別な目で見る人たちだと思うんです」
 今年5月には胃かいようで倒れ、2週間入院した。

   ■   ■
 堂々と仕事をし、ファッション雑誌にも登場する。メールをくれた知念さんは、そんなりんこさんをすごいと思っていた。
 ところが実物の彼女は、いつかポッキリと折れてしまいそうに見える。
 「やりたいことが自由にできて、いいね」とよく言われる。それも違う。
 「私は趣味で女の格好をしてるんじゃない。男の人も、好きだから背広を着るわけじゃないでしょう」
 自分は、男なのか、女なのか、何者なのか。頭が左右にちぎれそうなくらい、ずっと悩み続けてきた。
 「障害をもつ人の中で、笑われたりすることがあるのが、私のような『性同一性障害』なんです。この苦しみ、分かりますか?」
 恋をする時も、せつない。より女らしくしないと負けだと思うから、尽くす。相手の帰宅時間を見計らい「仕事お疲れさま」と、メールを忘れな
い。それでも「私なんかに好かれて、彼は迷惑じゃないか」と悩むのだ。
 だから、自分から「好き」と告白したことはない。
 郷里の両親は「息子としては愛しているが、娘としては分かってあげられない」と悲しむ。母親とは電話で泣き合う。
 「スーパーで2人でカートを押しながら『大根ないから買っていこうよ』なんて言う、普通の母と娘になってみたかったよって。でも、お母さんの前では男の子でいてあげたいとも思うし……」
 話をしていると、涙でぐじゅぐじゅになり、マスカラが流れ落ちそうになる。あわててトイレに直しに行った。
 りんこさんにとって化粧とは、自分を目いっぱい励ますための手段なのかもしれない。
  
  ■   ■
 話を聞き終え、りんこさんとクリスマス間近の人込みに出た。
 178センチの長身にミュールの高さが加わって、人目を引く。「日本では人と少しでも違うと、視線を向ける」。スミス事業部長の言葉を思い出した。「米国人の僕もよく経験することさ」
 確かに、並んでいるだけで、視線の海を泳ぐ気分になってくる。りんこさんは、ちょっと険しい表情になった。そして木枯らしに向かうように、コートの襟を立て、大またで駅へと歩き出した。

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