「ここだけの話」
(椎名誠)
そのころドイツの0ゲージを持っているS君が斜め向いに住んでいて、お金持ちの一人っ子だったから物をたくさん持っていた上級生になるまで付き合っていたのだが、彼には女の人を尾行するへンな趣味があった。ついていってそれでどうするというわけではない。その女の人がどういう家に帰っていくかということを確かめればそれでいい。突き止めて、外でじっと五分くらい佇んでから、今日は成功したなとか言って、帰ってくる。
パトリシア・ハイスミスの『ふくろうの叫び』という名作を読んだときに、ぼくはこのS君のことがすぐ順に浮かんできた。その小説では、好きになった女の人が帰るのを尾行して、家の中に入った彼女を外からじっと覗いている男が出てくる。覗くといっても、着替えるところを覗く、というようなわけではなく、料理をつくっているところなどを覗いて、それで安心して帰ってくる。そういう屈折した心理を描いた小説だった。
S君はすごいハンサムで、宝田明に似ていた。いま流行らないのかも知れないけど、当時は俳優になったほうがいいと言われていたくらいで、背も高かった。 でも彼は五、六年前に殺されてしまった。殺されたときに女装していて、なんだか猟奇的というか、怪奇的な死に方だったんだけれど、その彼の女装の死と、ドイツの0ゲージの模型がぼくの中では密接に絡んでいる。ようするに物質文化の中にどっぷりとつかっている現代の子供もけっして幸せではないんだということである。現代の子供は総じてその傾向にあるといえるんじゃないか。そのことをぼくは強く感じた。
椎名誠著「ここだけの話」(本の雑誌社刊)